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啓成高校3期生とその仲間たち

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1969 夏 vol.7  投稿者:三期松 投稿日:2006/08/29(Tue) 09:17 No.930


 俺たちは歓び?のあまり狂喜乱舞の状態にある10組コンビを落ち着かせ、対策を練ることにした。
 「とにかくじっくり話あおうや、邪魔の入らない場所と時間が必要だよね。誰かの家に集まって相談するってのは、どうお?」
 「そんなところが正解やろうね。で、誰んところにするん?」
 「高のところは手稲の山の上だし、余山は引っ越してきたばかりだし、いっそ俺んところはどう?市内からは遠い僻地だけどさ」
 「うん、神崎ん家なら行ったことあるし、いいんじゃない。まわりはタマネギばっかりだけど」。あっさりと余山が結論を下した。

 今日は長丁場になる。授業が終わり札幌市内へと戻った俺たちはそれぞれの家族に連絡を取り、俺の家へと向かった。
 バスの停留所からの道筋で、どこかから、おなじみの曲が流れてきた。
 「ゾンビーズの二人のシーズンってこの時代やったんやなぁ」
「日産のCMで今でも使われている名曲でしょや。ほれ、あの木場でもいれば音楽事情ももっとわかるだけどね」
 「ゼーガーとエバンスのインジ・イヤー・トゥエンティファイ、トゥエンティファイちゅうやつも確かあったねぇ」高内と中山の話に出てくる木場はやはり同期のひとりで、元の時代では、渋谷にあるインディーズレーベルの社長をしている男だ。
 この時代の木場に「お前の未来は・・」と教えてやりたい気もするが、余計なお節介というやつだろう。
 未来なんか知らなくとも、人は自分の路を切り開いていくものさ。

 西日にさらされた俺の部屋には8月末の北海道には、似つかわしくないほどの熱気がこもっていた。
 「取りあえず乾杯だな」。ポッコが学生鞄の中から魔法のようにジャックダニエルを取りだした。
 「あんさんどこでそれ調達しはったん??」
 「さっきさぁ、あそこの店でお前等が食い物買ってただろ。その時、こいつがさぁなんだか俺に色目をつかってたんだよな、連れてってって」
 「なに、はんかくさいことを、だからお前は昔から子供っぽいって・・・」高内の言葉が急に止まった。

 「んっ、どうした高内」
 「これさ、この写真の女」高内の視線の先には、リンゴで前を隠した例のポスターが俺たちに微笑みかけていた。

 「んっ?なんや、懐かしいやないの。浅田奈美でっせぇ、わてらの青春のシンボル。元祖巨乳やおまへんか」
 「おまへんかって、あんたは月亭歌調か、お世話になった口なのか、それはそれはクチがどうもお世話になりまして」。ポッコが混ぜっ返した。
 「中山だけじゃない。俺だってお世話にはなったさ。でも、そんなことじゃないんだって」話しながらも高内の目は釘付けになったようにポスターから離れなかった。

 「いたんだよ。この女が7組に」。
 「えっ?」「何それ?」「ほんまかいな〜?」「あらっ?」4人が同時に声をあげた。ちなみに順番に神崎、余山、中山、ポッコである。

 ありえない話だ。7組は俺と余山のクラス。
 「余山知ってる!」
 余山は呆然としたように首を左右に振った。
 「間違い・・じゃないのか」
 「間違いっこない。見たときから何か気になってたんだ。どっかで会った娘だって。こいつを見て確信したよ。彼女は浅田奈美だ」。

 岳がいない、その代わりに浅田奈美がいる世界。この世界は俺たちが経験した過去なんかじゃない。




Re: 1969 夏 vol.7  三期松 - 2006/08/29(Tue) 09:23 No.931

補足資料
男性諸子にはご記憶の向きも多いと思われる麻田奈美さんですが、本編では浅田奈美と表記させていただきます。尚、彼女は現在52歳で、現実には我々の二期下のはずです。

麻田奈美
’72 年の秋口、ある一人の18歳の少女が母親と共に写真家・青柳陽一のもとを訪ねた。娘の美しい青春のヒトコマを残したいという母の気持ちによるもので、この日を機に、足かけ6年に渡る麻田奈美と青柳氏によるフォトセッションが始まった。

’73年の『平凡パンチ』1月29日号に彼女のグラビアが掲載されるや人気が沸騰。麻田奈美のヌードが掲載されるとその号は100万部を超えるとされ、『平凡パンチ』は、次々に紙面に彼女を登場させた。

また、有名な「りんごヌード」は、ポスターとして売り出されて飛ぶように売れた、’73年10月には、ホンダのテレビCMやポスターにも起用され、11月には日本コロンビアより『おそい夏』で歌手デビュー。まぎれもないアイドルとなった。

’78年6月に、’72年からの作品をまとめた平凡パンチ臨時増刊号の写真集『麻田奈美 青春の記録』が発売され、1週間で30万部を完売したという。ちなみに現在、この写真集は古書店やインターネットで5〜15万円で取り引きされている。





Re: 1969 夏 vol.7  クチ(中川信一) - 2006/08/29(Tue) 10:53 No.932

bakuturisi.gif 麻田奈美のリンゴちゃん!!!

イヤ〜〜懐かしい♪
はい!正直・・わては、このポスターにお世話になりました♪

写真集・・・5〜15万円って・・そないするん!




Re: 1969 夏 vol.7  三期松 - 2006/08/29(Tue) 12:04 No.933

上記の麻田奈美嬢写真はクリックすると拡大表示でご覧いただけます。

尚、お世話になった経験のある男性諸氏はクチさん同様、
ぜひ麻田嬢への感謝の一言を。

奈美のお・ね・が・い




Re: 1969 夏 vol.8  三期松 - 2006/08/29(Tue) 20:02 No.934

 今朝起きた時から、今までのリアルな体験は、とても“俺の夢”で済まされるものじゃない。俺は異世界に放り込まれたことを改めて実感した。救いは一人ではなく、信頼できる仲間と一緒って点だ。

 ふと喉の乾きを覚えた。ジャック・ダニエルズ?キックの強すぎる酒は思考の妨げだ。俺は部屋の隅に置かれた冷蔵庫から、赤い星印のサッポロラガービール大瓶633ミリリットルを取りだして、みんなに配った。

 なぜ、この時代の高校生の部屋に冷蔵庫があるのかって?深い話は聞くな。何、それじゃぁリアリティに欠けるって?分かったよ。じゃぁ説明してやろう。当時俺のバー様は、6〜70人は入れる宴席付きの仕出し屋を経営していた。そこで余った冷蔵庫のひとつやふたつ、転がっていたとしても贅沢とは言わないだろ。

 リサイクルの先駆けだと思ってくれてもいい。レイチェル・カーソン女史が「沈黙の春」を発表したのは確か1962年。最初の邦訳は『生と死の妙薬』のタイトルで1964年に出版されている。
 ちょっと意味は違うが、高度成長へのカウンターカルチャー。環境への意識はすでにこの時代に芽生えていたのだ。

 何?そんなお前のご託より、中のビールのことはだって。しつこいねあんたも。それについては、セキュリティの甘い酒屋の倉庫が近所に有ったって程度で勘弁してくれ。なにしろ振込サギなんて夢にも思わないのどかな時代のことなのだから。(ベトナム戦争は別としてね)

 ホップの効いた苦みの強い味わいは、発売された当時のキリンクラシックラガーに似ていた。
 「旨い、最近の瓶ビールじゃ味わえない旨さだな、これは」古いモノには、古いモノなりの良さがある。生より瓶というポッコのお墨付きだ。

 「さてと。で、一息ついたところで研究を進めますか。はい、では高内先生からどうぞっ」こんな時の余山は本当に仕切上手だ。
 「神崎の部屋にこのポスターが有って、神崎、余山のクラスに本人がいる。まずこれはいいね」俺たちは確認するように頷いた。
 
 「では、彼女は我々の知っている彼女か。これが第一の疑問だ。そもそも何時頃なんだ。俺たちがこのポスターを見かけるようになったのは?」

 「思い出した。平凡パンチや!わてが大学の2回生の頃やから、確か1973年あたりのデビューやなかったんかいな。浅田奈美は、東京出身でわてらより2〜3個下のはずでっせ〜」。
 「なんで知ってんの?」
 「ファンやったから」
 「あっなるほどね」
 「俺も思い出したよ。これを手に入れたのは高校時代じゃない、もっとずっと後だ」。
 中山の発言で納得がいった。俺がこのポスターを手に入れたのは札幌の中心部南1条西2丁目にあった丸井パチンコセンターの景品交換所だったはずだ。

 つまり彼女のデビューはずっと後。さらに俺たちと同学年ということもあり得ない。では、なぜこのポスターがここにあり、ヌードになる前の彼女が同じ学校にいるのか?空間的にも東京出身の彼女と札幌は交差しない。

 「だからな、時代考証がさ、ちょっと狂ってるんだな」。高内はできの悪い生徒を導く教師のような口調で言った。
「つまり、あれなのかなぁ。時代劇なんかで、元禄3年にはさぁ、なかったはずの浮世絵が出てきたり、時代考証が微妙に違うテレビドラマみたいなものなの?」
「映画やドラマは誰かが作るもんでしょや。だったら小さな間違いだって起こるっしょ」

 「えっと、先生もうひとつ質問」
 「ハイ余山くん」
 「誰かがこの状況を作って、そこに俺たちじゃなくて僕たちが紛れ込んだってことですか」良き生徒たる余山の口調が妙にうれしかったりする。
 「紛れ込んだのか、最初から俺たちの存在を意識して舞台が作られたのかは分からんけどな。何かの意志が働いているのは間違いないと思う」

 「今、誰かじゃなく何かっていったよな。」
 「ポッコ、相変わらずいい耳してるねぇ。考え方としてはいくつかある。まず、俺たちの置かれた状況自体が異常であるということは確かだな」
 「確かにな。既成概念や常識は通用しない世界に放り込まれたことは間違いない。夢でもない。だとしたら、どんな不可思議世界が展開されても、俺はもう驚かないぞ」。

 「とにかく言えるのは俺たちの時点の現実でもなければ、その延長上、延長上ってのも変な言い方だけどな、その延長上でもない」
 「うそや!それやったら時間の迷子やないか。わての可愛いカーチャンどないしてくれるねん!!!!」



1969 夏 vol.4  投稿者:三期松 投稿日:2006/08/25(Fri) 09:42 No.924

 バスから降りて校門へと向かう坂道から見上げた母校は、記憶以上に貧相に見えた。ホームルームのメインディッシュは予想通り転校生の紹介だった。余山が現れた時、俺は柄ににもホッとしている自分に気づいた。これで奴が、あの余山なら話は一歩前進するってなもんだ。担任に即されて自己紹介する余山の表情は硬かった。それが、ただの転校生の不安か、違う世界に舞い込んだそれなのかを伺い知ることはできなかった。

 奴の目がこちらを向いた時、俺は1969年当時の高校生には理解できないあるサインを送ってみた。どんなサインかって。あれだよ。例の中指を押っ立てるファッキンなあれだ。俺は余山の唇にほっとしたような笑みが浮かぶのを見逃さなかった。

 次の瞬間、奴は俺以上にファッキンなオーバーアクションで応えた。説明するのもなんだが、一応書いておこう。「てめーの××に俺の×××を×××してやるぜ」という上腕を誇示するお下品なあれである。

 俺の友人でもある国際通り嘉数幼稚園側にある沖縄ホーム食品の糸洲くんは、返還前の沖縄であれをやって黒人兵に追いかけられた思い出があるそうだ。
 アメリカがまだ夢を見ていた古き良き時代の、牧歌的な光景。BGMにはサラ・ヴォーンのラバーズコンチェルトあたりがさぞや似合ったことだろう。

 余山のサインは周囲をキョトンとさせた。多分、周囲の連中は何のことだかさっぱり分からなかっただろう。もしかしたら、東京のゴーゴークラブで流行っている新しい踊りの振りとでも勘違いしていたのかもしれない。そんなわけで、この不謹慎なサインが札幌の辺境でプチ流行したとしても、俺や余山の責任ってわけじゃない。

 ついでに言えば当時はクラブはおろか、ディスコティークなんて言葉もまだ知らなかったような時代だ。しかも当時の北海道人の感覚と言ったら、浦和と渋谷の区別もつかないくらいだったからね。まぁ、首都圏の位置関係に対する理解は、現在でも大きくは変わらないのかもしれないけどさ。

 とにかく、余山と話さなければ、俺は中年男の強引さで、女子から質問責めにあっている奴を廊下へとひっぱりだした。余山は、小柄な俺に会わせるように長身を折り曲げながらうれしそうについてきた。

 「ねぇねぇ神崎だよね。本当に、本当に昨日一緒だった神崎だよね。酔っ払って店のオネーちゃんに卑猥なラップ浴びせかけていたあの神崎だよね」
 そこまで言うな!おまえだって、通りすがりの夜遊び女子高生にちょっかい出していたくせに。にしてもやっぱりあの余山だ。なんて都合のいい夢なんだろう。

 「とりあえずさ、人のいないところへいこうよ」俺は、見知らぬ街で、はぐれた飼い主に遭遇したテリア犬のような表情を浮かべる余山に言った。もし、こいつが本当に犬なら尻尾はターボ加速で揺り動かされていたことだろう。

 「それもいいけどさ、俺と神崎がここにいるってことは、昨日のメンバーも一緒だってことじゃないの」
 ビンゴ!余山も俺と同じ事を考えていたみたいだ。

 「もしそうだとしたらさ、仮定1:昨日のメンバーはみな同じ状況にある。しかし、他の同期生は何も知らない。仮定2:我々二人だけがこの状況に放り込まれた。仮定3:この校舎にいる人間は全員同じ状況に置かれているけど、そうじゃない振りをしている。というケースが考えられると思うんだけど。どう?」

 さすが、将来は某一流アルミメーカーの次期取締役候補と周囲から目されている男だけのことはある。余山の分析は的確だった。
「そうか、回りが知らなければこそこそ動き回る必要もないし、知っていれば知っているで、こっちの様子を見て安心こそすれ、気にすることはないってことか。当たってみよう」。
 「そうそう、取りあえずクラスが分かってるのは、10組の高内とポッコだよね。他の奴らは2年生の時、何組だか僕知らないもんね」

 見かけはともかく、こいつ本当に53歳のおっさんなんだろうな。賢そうな外見とちょっと舌っ足らずな口調のギャップ。こいつは、その手で東京での単身赴任時代にも悪さを重ねていたに違いない。それにしても、この時代から同じテクニックを使い続けていたとは。なんて長持ちのする技なんだ。




Re: 1969 夏 vol.4  クチ(中川信一) - 2006/08/25(Fri) 14:31 No.925

bakuturisi.gif >>仮定1:昨日のメンバーはみな同じ状況にある。
>>しかし、他の同期生は何も知らない。
>>仮定2:我々二人だけがこの状況に放り込まれた。
>>仮定3:この校舎にいる人間は全員同じ状況に置かれているけど、
>>そうじゃない振りをしている。
>>というケースが考えられると思うんだけど。
・・って事は・・・ン?・・俺は?・・じゃあなかった・・中山は?
他のメンバーは??

さぁ!どぉなるぅ〜どぉなるぅ〜♪




Re: 1969 夏 vol.5  三期松 - 2006/08/28(Mon) 10:44 No.926

 10クラス編成だった俺たちの高校のなかで、10組だけはちょっと異質な存在だった。一種の特殊学級といってもいいだろう。とはいっても別に頭の不自由な子が集まっているわけではない。高度成長の当時は、産業の各分野で理数系が重視されていたのは知っているだろう。10組は、時代の要請に合わせた理数系の特別カリキュラムが行われていた。北海道で最初の試みということで、志望者も多く、それに引きずられて俺たち普通科の倍率も高かったように記憶している。つまりは、頭のいい子たちを集めたクラスだったはずだ。
(30年後に高内やポッコと付き合うようになって、俺の認識が誤りだったことに気づいたけどね)

 まぁそんなことはともかく、理数系=男子の得意分野という公式が成立していた当時の状況として男女共学の我が校の中で、10組は女子人口10%未満という特異な環境に合ったことは確かだ。抑圧され孤立を強いられたゲットーというほどでもないが、本人たちにとっては悲惨な青春といった感じだったんだろう。いっそ男子校ならともかく、隣を見れば男女仲良くやってるクラスだらけだからね。

 当時は、普通科と10組(理数科)のつき合いはさほど活発ではなかったように記憶している。とはいえ、年を経た中年男の俺と余山がそんなことに頓着するはずもない。奴らを呼びだして確かめれば良いだけのことだ。 ライブで17歳の高内とポッコを見るのは初めてだったが、手間はかからなかった。なぜかって俺たちが10組に入る前に彼らプラス1のセットが、向こうの方からでてきたからさ。

 その顔ぶれを見るなり、余山の口からまるで合言葉のようにセリフが飛び出した「南のおネーちゃんはおねだり上手」。
 38年後同様、唇に特長のあるプラス1こと通称クチは破顔しながら応えた。「夜の動物園もよろしゅうお願いしまっさ」

 読んでる君たちには、一体何のことだか分からないだろうから一応説明しておくけど、元の時代(一々2006年と書くのも面倒なのでこれからは、元の時代、この時代と表記を統一することにしよう。その方が読んでる君たちにも都合がいいだろ)で俺たちは畑村の作ってくれた同期会HPを中心に、50親父としては、活発な交流を行っていた。その掲示板で、関西の夜遊び情報を我々にレクチャーしてくれていたのが、プラス1こと中山だ。前出のセリフも彼による関西アダルト情報の一部で、我々にとってはおなじみのフレーズというわけだ。

 「よかったぁ、クチ一人かと思うて、心細かったんやけど、やっと会えたわ」
 「やっと・・ってその他の連中は?岳とかはどうだったの?」余山がきょとんとした顔で聞いた。
 「おらんのや、だれも」
 「なしてさ」「どういうことよ」高内とぽっこが同時に応えた。
 「余山、どうやら仮定は3で終わりじゃなかったみたいだな」




Re: 1969 夏 vol.4  三期松 - 2006/08/28(Mon) 11:04 No.927

宮崎ブログで、別の小説(?)のようなものも展開中です。
よろしければ、そちらもどうぞ。




Re: 1969 夏 vol.4  ぼっこ(小林) - 2006/08/28(Mon) 12:31 No.928

> 「おらんのや、だれも」

何?ララはおらんのか?ララは。
そういえば、転校生は一人だったのか?
確か余山と一緒に転校してきたというワンサカは存在しないのか?

うーむ、意外な展開…
そういえば「いる」のはアホばっかし…




Re: 1969 夏 vol.6  三期松 - 2006/08/28(Mon) 13:12 No.929

 俺たちは場を代えて詳しいミーティングを行うことにした。元の時代なら喫茶店かホテルのロビーに移行するところだが、このあたりに、そんな結構な施設はない。俺たちは学校の裏の樹齢数百年という原始林が生い茂る場所へ足を向けた。

 木を隠すなら森の中とは言うが、この鬱蒼たる原始林は、木を隠すどころではない。この時代のここ野幌原始林は、ほとんど整備もなされておらず、北海道にはありえないパームツリー100本をまとめて植林しても判らないほどだ。その鬱蒼たる樹木の連なりは、紛れ込んだ人が遭難するほどの密度を誇っている。
 実際に、俺たちの入学以前には体育の時間に、生徒が行方不明になり、捜索隊が繰り出されたことさえあったくらいだ。

 「正確に言うとやね。笹山、畑村、柳岡、西澤、ララ、まっちゃんはおった」
 「なんだよそれ」
 「まぁ聞いたってや、おるにはおったんやが、この時代の彼らであって、元の時代の彼らとは違ったっちゅうわけや」
 「ということは、岳は?それとワンサカも余山と同じ転校組だったはずだぞ??」
 この時代から女事情には妙に詳しかったポッコが不安そうな声を出した。
「2年の頃、みんなが何組だったか、覚えておらんかったからね。そんで、今朝、異変に気づいた時点で、学籍簿っちゅうのかな、各クラスの名前をかいてある用紙で調べたんよ。みんなのクラスを」

 「そこに岳の名前がなかったってこと?」俺は、岳がアーチェリー同好会に入会した時の同期で、後に空手同好会を立ち上げたことも記憶している。あの岳が、この時代にいない。

 「ワンサカは、ワンサカはどうしたの」
 「ララは、代々木のまっちゃんは?」
 あぁ神もご笑覧(照覧の誤記に非ず)あれ、高内&ポッコの10組コンビは、相変わらずというかなんというか、興味のほとんどが女性に集中しているらしい。これも抑圧された時代が長かった影響かもしれない。

 「神崎、仮定には4どころか5があったみたいだね」つぶやく余山の冷静な表情とその言葉にうなずく中山の大人びた態度が妙に頼もしかった。

 「すまん、ワンサカが転校生やったいうことは知らんかったわ。それやったらおるかもしれん」

 「口説けるかもしれんぞ」
 「ヘッ?」俺はポッコの意外な発言に耳を疑った。
 「そうだな、ララやまっちゃん、ワンサカだけじゃない。他の女の子だって、チャイナガール相手に磨いたテクニックとこの大人のゆとりさえあれば・・・」。「相手は所詮、初な田舎の女子高校生週番、ぢゃなかった女子高校生集団、この俺の守備範囲の広さをもってすれば、楽勝だ」

 「やれる!!!!自由自在、疾風怒濤、向かうところ敵なし、ヤリ放題、羊の群に飛び込んだオオカミ同然、チョイ悪親父ヤングバージョンだぁああああ」俺、余山、中山の3人は、まるでアントニオ猪木をまねる六本木男声合唱団のような高内とポッコの雄叫びをあきれ果てた表情で見つめていた。


1969 夏  投稿者:三期松 投稿日:2006/08/23(Wed) 15:07 No.914

 頭が痛い。まさか、脳梗塞の前兆じゃないだろうな。俺は二日酔いを追いやるよるように頭をふりながら、ベッドサイドの時計に目を向けた。
 視界の中に飛び込んでくるはずの見慣れた液晶表示はなぜか見あたらなかった。
 「寝ぼけて落としちまったのかな」。
 ああ、いやだいやだ、50を過ぎてから独り言が多くなってきた。
 妻に言われるまで自分では気づかなかったクセだ。老化というのはこんなところから始まるのかもしれない。
 「無理もないさ、もうすぐ55歳だぜ」。まただ。苦笑しながら隣にいる妻を見やった。そこには妻どころかそもそも彼女のベッドすらなかった。
 ん?んんっ!家じゃない!。それだけは分かった。この雰囲気はどう見たってホテルというより他人の家だし、もしかしたら・・・。まずいかも!
 あわてて下半身に目をやった。そこは、ここ何年もないほどの元気な様子を見せていた。この年でこの調子なら、その翩翻たる様子に、欣喜雀躍するところだが、いまはそれどころではない。とにかくパンツは履いていた。パンツの中でやけに頼もしく映るそこには、とりあえずあんなこと、そんなことの形跡をみることもなかった。なんだかわからないが取りあえず一安心。 ただし、履いていたのはBVDのブリーフ。俺のじゃねーよ、これ!!。まぁ元気なことは、それはそれでうれしいが、とにかくそんな小さな歓びをかみしめている余裕さえなかった。(どうでもいいけどシツコイね、俺も)。
 頭の痛みに耐えながら記憶を確かめてみた。昨日は、確か高校時代の友人と一緒に、青山から恵比寿、中目黒としたたかに飲んだ。えーとしたたかは、強かと書くんだよなやっぱり。うん、頭がおかしくなったわけではないな。チャイニーズ高内、プロフェッサー岳、ポッコこと小森、ドンコルレオーネ笹山、余山、中山、畑村、柳岡・・・。女の子は?ララにまっちゃん、ワンサカもいたな。なんで集まったんだっけ。そうだ、そうだ。畑村と柳岡が札幌から遊びにきたんだっけ。もう一人いたな。あいつだ、あのダンスの先生をやってるスケベの西澤だよ。西澤のお下劣マジックに、余山と中山の富山&関西漫才コンビ、集まったメンバーや話の内容だって覚えている。帰りは?。タクシーでまっすぐ帰宅した・・・はずだ。だとしたら、ここはどこだろう。朦朧とした気分が急激に覚醒していった。
 取りあえず奴らに連絡を取ってみよう。だが、周囲に携帯は見あたらなかった。代わりに、21世紀とは思えない部屋の様子に気づいた。今時珍しい石膏ボード風の殺風景な壁、シングルサイズのベッド、重い綿の布団。
 もう一方の壁を見渡したとき、思いがけないものが目に飛び込んできた。 ちょっと太めの女の子がリンゴで、大切な部分を隠している、大判サイズのヌードポスター。見覚えがあるどころじゃない。これがあるということは・・・。あわててベッドから起きあがった。足下に懐かしいフローリングの感触。やけに低い天井。直管2連式の蛍光灯、勉強机。コカコーラの琺瑯看板、そして窓の外には懐かしいタマネギ畑。「俺の部屋じゃないか!」。




Re: 1969 夏  クチ(中川信一) - 2006/08/23(Wed) 16:07 No.915

bakuturisi.gif おい!えりゃあ〜おもしれぇじゃぁにゃあきゃあ〜(最近、名古屋出身のババァの店で・・♪)

それからどぅしたい!どぅなるったい!どぅなりまんねん!

楽しみやねぇ〜♪




1969 夏 2  三期松 - 2006/08/23(Wed) 16:48 No.917

では、クチさんのご要望にお応えしてっと、続きいきます。


 どうも見ても実家のマイルームとしか思えなかった。若年性のアルツハイマー?などという言葉が頭の中で木霊した。
 だが、今必要なのはこの状況を検証することだ。
 行動の鉄則。まず己の置かれた状況を把握せよ。しかる後に、困難と思われる事柄から手をつけるべし。俺は勇気を振り絞ってパジャマのまま階下に降りることにした。

 階段が妙に新しく見えた。若い頃ここを降りるときは、手すりに掛けた片手を軸に回転して飛び降りたものだ。ふと今なら出来そうな気がした。思った時は、行動に移していた。次の瞬間、身体は当然のように玄関の上がりかまちにふわっと舞い降りていた。この元気の良さ、身体の軽さ??まさか!俺はトイレに駆け込だ。鏡に映った顔は紛れもなく20代いやひょっとすると10代の頃の俺によく似ていた。ついでに放尿もしたのだが、これがまた勢いのいいこと。最近はやけに時間がかかる朝の開放感も、あっという間だ。

 タイムスリップ!!!!!。でもな、それならナニがこんなに元気な訳はないし、SFの基本から言っても若返っているのが解せない。
さらに増した混乱に背中を押されるように居間へ続くドアを開けた。
 そこには、懐かしい“我が家”があり、台所では昨年死んだはずのお袋が鼻歌を口ずさみながら飯の用意をしていた。
 「そうか夢なんだ。いや夢であることに相違ない。と結論づけるべきだ」。とりあえず、俺は強引にそう思うことにした。だってそうだろ。それ以外にどうしたらこの状況を受け入れられるって言うんだ。

 フフン面白い、なんてリアルな夢なんだろう。俺は、しばらくこの状況を楽しんでみる決心をした。まっこんな決心をすること自体、気が動転している証拠だが、それはそれでおいといてと。

 「おはよう」声を掛けた俺におふくろは怪訝な表情を浮かべた。精一杯、愛想良く声をかけたつもりだが・・と思ったところで気がついた。そういえば10代の頃は、若気の至りというか、少々荒れ気味の時期だったかもしれない。20代は大分落ち着いていたはずだから、今の表情と部屋にあった学生鞄から導き出される結論は・・・。

 スイッチを入れてから、画像が映るまでやけに時間のかかったTVのディスプレイでは、若き日の景山民夫が歯ブラシをくわえていた。レギュラー出演中に交通事故で亡くなった小柳徹も陽気で屈託のない笑顔を見せている。「ドッドゥゥヤ〜ヤ、ドッドゥゥヤ〜 セブンツーオー」やっぱりな。

 新聞紙面は、30数年後に脳梗塞で倒れるはずのミスタージャイアンツと同じくガンの手術から復帰するはずの世界のホームランキングのアベックホームランによる、ジャイアンツの勝利を伝えていた。日付は昭和44年8月21日。この状況を素直に受け入れれば俺は今高校2年生ということになる。





Re: 1969 夏  ひら - 2006/08/23(Wed) 18:00 No.918

122.gif フンフン、へぇ〜高校2年の夏ですかぁ〜
それでそれで どうしたの? ♪♪〜〜〜




Re: 1969 夏  クチ(中川信一) - 2006/08/24(Thu) 08:54 No.919

bakuturisi.gif おもろい!
いけるでぇ!これは!
ひょっとしたら芥川賞ならぬアッケラカンデ賞・・♪

クチの高校2年の夏は・・・ムフッ♪

この数日、部下の交通事故とかブルーな日々のクチにとっては楽しめる作品かな・・?




Re: 1969 夏 vol.3  三期松 - 2006/08/24(Thu) 12:03 No.920

 夏の短い北海道の場合、夏休みは確か20日あたりまでだったはずだ。ひょっとしたら今日から新学期という可能性もある。
 高2の2学期といえば、初日に確か埼玉から余山が転校してきた時だったんじゃなかったのかな。そうだ、余山だ。昨日会ったあいつ等も学校に来るって事じゃないか。もしかしたら、あいつも、いやあいつだけじゃなくて昨日集まった連中も同じにことになってるかもしれない。希望的観測には違いないが、夢ならあり得ることだ。行ってみよう学校へ。
 
「今日から新学期だったっけ」俺はさりげない風を装いながらお袋に聞いてみた。
 「あんたちょっとおかしいんじゃないの?なんでお母さんが早くから起きて支度してると思ってるの」言いながらお袋が指さした先には弁当箱がふたつ重ねられていた。飯用とおかず用、高校時代の俺は今とは比べものにならないほどの大食いだった。
 「そうよ。夏休み最後の日だっていって夜遅くまで遊んでるから、そんな変なこというのよ」母に続く姉の言葉が俺の予想を裏付けてくれた。

 親父が食卓につくと家族揃っての朝飯が始まった。手を合わせる動作やいただきますの声が懐かしかった。いただきますはともかく、手を合わせる動作は2006年の食卓では、ドラマの中でさえあまり見かけない。
 朝飯のメニューは2006年の生活に比べるとあきれるくらい貧相だった。ご飯におみおつけ、納豆、目刺し、漬け物、ふりかけ。正しい昭和40年代の朝飯にして、健康な日本の伝統食。

 俺はお代わり3杯という炭水化物ダイエット実践者が聞いたら目をしかめるほどの飯を平らげると学生鞄と黒の学生ズボン、半袖の白シャツといった定番の姿で学校へと向かった。なんだが、中年コスプレーヤーのような気分がした。感心なことに学生鞄には当日の授業に合わせたとおぼしき教科書類が放り込まれていた。

 俺の通っていた高校は、俺たちの代で3期生という札幌市郊外の新設校だった。通学バスの停留所には、同期の連中が大勢集まっていた。なにやら記憶にある顔もちらほらある。中山に劣らず唇に特長のあるあいつは、確か中学から一緒で、2006年の時点では帯広に単身赴任しているはずの坂野だ。ちょっと好きだった女の子もいた。シャイだった高2の俺は気軽に声を掛けることもなかなか出来なかったが、中年男のテクニックを身につけた今なら。とも思ったが、残念ながらそんな場合じゃない。

 ともかく見知った顔もあるが、誰も俺の方を見ても別に表情を変えるようなことはしていない。残念ながら昨日のメンバーは一人として見あたらなかった。それにしても男子はおしなべて中途半端な長髪をしてるし、女子にしても21世紀の女子高生と比べると、どうにもやぼったい。この時代にはダイエットっていう概念そのものが薄かったのかもしれない。




Re: 1969 夏  クチ(中川信一) - 2006/08/24(Thu) 15:40 No.921

bakuturisi.gif >>女子にしても21世紀の女子高生と比べると、どうにもやぼったい。
>>この時代にはダイエットっていう概念そのものが薄かったのかもしれない。

→確かにそやねぇ〜。で・・・どないな展開になるんかなぁ?♪




Re: 1969 夏  ひら - 2006/08/24(Thu) 16:57 No.922

122.gif そうそう!ダイエットなんて考えた事なかったよね〜
部活の帰りに作田商店(作山だったかな?)でラーメン食べたり、まるいさんのところにあったママ―スパゲッティでミートソースの大盛り食べたりしてたよ。顔もパンパンだったなぁ〜

そんでそんで?♪




Re: 1969 夏  さんきち - 2006/08/25(Fri) 02:02 No.923

な、何んじゃ こりゃー。
三期松氏もとうとう脳梗塞で・・・と思った。

でも・・ムム・・・こ、これはすごい。
星ライスと筒井ライスをたして2で割ったご飯の上に三期松ふりかけで味付けしたような・・・。
その上に水を差してじゃない、お湯をかけて見事なおちゃらけじゃない、お茶漬けの出来上がりじゃい。

こりゃあ・・たとえ芥川賞にもれたとしても 「なお樹」 賞は絶対確実じゃい!!

そんでそんで? ♪♪


15回引き分け 再試合!!  投稿者:ひら 投稿日:2006/08/20(Sun) 17:56 No.912
122.gif ハラハラ・ドキドキの連続・・・こんなに疲れるテレビ観戦(応援)もないよね。
とうとう再試合になっちゃって、明日はお仕事だからじっくり観戦できないのが悲しいかな。お暇のある皆さん、駒苫の応援よろしく!

ところで、最近掲示板にもご無沙汰の我が三期生アイドルの合田さん(あくまでも自称ですが・・)から、とある用事のメール返信あり、面白いので無断で紹介しちゃいます。

『ところで、駒大苫小牧勝ってよかったね(^−^)
おれさ〜、苫小牧の事務所へ行くたびに毎回
駒大苫小牧のグランドへ行き練習見ていたもんだから、
なんか自分が監督のような気分だよ。
ほんと普通の生徒も、勿論ナインも礼儀正しいし、
俺の中では好感度最高だよ!
この夏の試合も見に行ったし、絶対優勝しかないね!!
さあ、明日も声をからして応援だ。
そして一日が暮れていく、ってか〜。』

興奮しすぎは体に悪いですから合田さん!ほどほどにね^−^

ってことで、明日の再試合「夏・決勝!」 いくぜ駒苫!!!

しかし、早実の斎藤君もなかなか良い・・おばさん的には母性本能が・・




Re: 15回引き分け 再試合!!  クチ(中川信一) - 2006/08/21(Mon) 08:52 No.913

bakuturisi.gif いやぁほんまに素晴らしい試合でした。

それにしても早実の斎藤君への女性陣の評価は何ともはや・・・

会社の女性達も素敵!素敵♪の連発です。

彼女ら曰く「斉藤君ってマウンドで汗をぬぐう時にハンカチを後ろのポケットから出して拭くのよねぇ。それもキッチリ折りたたんでるのよぉ〜。普通は袖でぬぐったりじゃあない?それとあの涼しい眼!大きな声はりあげる鹿児島の坊主頭とは違うわよねぇ〜♪」と・・・

どうもこの手の女性陣にかかっては高校野球もジャニーズ系に変化してしまうよぅで・・↓


無題  投稿者:きし 投稿日:2006/08/18(Fri) 21:13 No.911
patadoc.gif 球史に残るいい試合だったが、帝京は負けた

9回裏満塁カウント2−3でストライク 延長戦でけりを
つけて欲しかったが、かのピッチャーには最後の一球はあまりにも
重かった! 重責すぎた!

天晴れ 智弁和歌山 恐るべし

我らが”我妻壮太”くんは顔に十数針も縫う怪我を克服し
ねばった

本当にすばらしい試合だった、語るまい!



甲子園  投稿者:きし 投稿日:2006/08/12(Sat) 22:34 No.907
patadoc.gif リトルリーグに参加してたころの子供がいま西東京代表で甲子園に出ている。帝京高校の我妻君だ。ポジションはキャッチャ。
今日の対戦で顔にデッドボールを受け1時退場したがチームは勝利したのでまたテレビで見られそうだ。
5年間毎週の練習と合宿を過ごした、そのころからジーニアスな才能を
感じていたがテレビや新聞の記事にしばしば登場するとは感激だ。
西東京地区は特に強豪がひしめくので甲子園に出られただけでもと
思うけど、1回戦、2回戦とくると欲が出るよね!!
頑張れ!!我妻壮太(あだ名はサミー ソータ)




Re: 甲子園  クチ(中川信一) - 2006/08/14(Mon) 09:03 No.908

bakuturisi.gif 確かに自分の近隣にいる人の名前が登場してくると嬉しく又、気持ちが入ってくるよね。

芥川賞を受賞した「伊藤たくみ」君も小生の会社の先輩の息子でヤンチャな学生姿を垣間見た事あるのを思い出すと作品への興味も湧いてきます。

でもあの「山本あずさ」は、親父とのギャップ大きくてついつい笑ってしまうんよねぇ〜♪




Re: 甲子園  きし - 2006/08/15(Tue) 22:05 No.910

patadoc.gif われらが西東京代表 帝京高校はbest5になった
郷里の駒大苫小牧も劇的な勝利をおさめた

是非この両者の戦いが見たいものだ
高校野球はインチキや八百長がないのは救いだ

クチの先輩のご子息の芥川賞受賞作”八月の路上にすてる”は
半分くらいよんだ いいテーマだとおもう

石原新太郎をはじめ選考委員の評価は厳しい。。。が
強烈な勢いで変化する就業環境の変化を先生方は認知してるのだろうか?

テーマが矮小だが好きな作品だ



災害男・・・クチ?  投稿者:ひら 投稿日:2006/08/04(Fri) 23:15 No.902
122.gif 今日は久々に暑かった。
だまっていても汗が滴る。冷夏と言っては文句言い、暑ければ文句を言い・・・ホント勝手な!(特にうちの母です)
本州の方達に怒られちゃうね。

暑さのせいか嫌な事件が多い昨今。今日も午後のニュースで葛飾区新小岩で起きた刃傷事件を伝えていた。
犯人に対応した警察官が重症を負ったらしい。通行人もケガしたとか・・新小岩?ってクチさんが単身で住んでるとこだわ!そーだわ、そーだわ!もしかして、その通行人ってクチさんだったりして!えっ〜!大丈夫かしら・・・


まさかとは思うけど、だってだってくちさんの行くところ災害だらけ。
神戸の震災でしょ。新潟の地震でしょ。四万十川の台風事件。JR西日本の脱線事故。まだまだあるんじゃないのぉ〜くわばら・くわばら・・

と、心配してたらクチさんの住んでるのは新小岩じゃなくて小岩らしい。よかった、よかった・・でも近いのでしょ?

東京方面の皆様、しばしの間 ご用心を!







Re: 災害男・・・クチ?  クチ(中川信一) - 2006/08/07(Mon) 09:06 No.905

bakuturisi.gif そうなんですぅ!
新小岩は隣町なんよねぇ。

確かにクチが行く所は色々と災害等あって・・・!

昔の投稿でもサンキチが心配してくれて「関西みたいな恐ろしい所から札幌帰って来いよ・・・いや駄目!お前が帰ってくると我々が危ない!」との投稿あったの思い出したけど・・。

何があるから、わからへんからねぇ〜。
急逝して残していてマズイ物は・・・?・・処分処分・・テカ♪




Re: 災害男・・・クチ?  クチ(中川信一) - 2006/08/14(Mon) 12:53 No.909

bakuturisi.gif お盆の最中の月曜日で通勤電車の中は空いていて東京に来て初めて乗車駅から座れました♪

ところが途中の秋葉原で突然止まって!

停電で地下鉄含めてストップとか・・!

その後の情報では地下鉄の電車の中でクーラーも利かず缶詰状態の人もあったとか・・・!

会社でもサーバーの調子が悪く週明けの始動に影響もありました。

ほんまにぃ色々とありまんなぁ。

でもクチは座れた電車の中で、よーーく眠れて元気に出社っすぅ♪


キャバクラにて  投稿者:手品師 投稿日:2006/08/06(Sun) 22:10 No.904
icon13.gif 「八百長だぁ〜!」
「インチキだぁ〜!」
と、批判の多かった亀田興毅のボクシング世界戦。
もう試合後4日もたっているのにいまだに「ベルト返上」だの「再試合」だの批判が多い。
この試合当日、手品師はススキノにいた。すすきのまつりの「はしご酒スタンプラリー」に参加していた。
おなじくラリーに参加の啓成3期生の会社社長「T」、法律関係の仕事している「M」、ゴルフ練習熱心な「Y」の三人と途中すれ違った。
ラリーを終え。キャバクラへ直行!
別に手品師が東京会の「T」や「M」みたいに「キャバクラ好き」でも「助平」なわけでもない、直樹の店のむかいにある南興ビルのキャバクラには大型スクリーンがあるのだ!
ここで亀田の世界戦を上映中とのこと。
もう帰宅する時間もないし
その大型スクリーンで亀田世界戦としゃれこんだ。
手品師の予想は、誰もが予想していない「亀田敗戦」
一ラウンド亀田ダウンのときはキャバクラのネェちゃんみんな「え〜!」「まじでぇ〜!」「うっそう〜!」「しんじられない!」と、驚きと尊敬?のまなざし!
へへ!「手品師の超能力よ!」
誰もが早いラウンド決着を予想しつつも結局、最終12ラウンドへ!
最初から最後まで真剣にスクリーンを見つめ続けた手品師をよそにネェちゃんたち、食うわ!飲むわ!
12ラウンド終え。会計。。
ハイ!「会計三万二千円なり〜!」

な!なにぃ〜!

「やっ八百長だぁ〜っ〜!」
「インチキだぁ〜!」




Re: キャバクラにて  ひろちゃん - 2006/08/07(Mon) 13:08 No.906

ご愁傷様。
ま12ラウンド、ネエちゃんを独占し(多分2〜3人?)
楽しい時を過ごし、時にはピチピチした太ももや○にそっと触れ
(腿−もも、尻3年胸8年と言って嫌がれずに触るには「手品師」
くらい年季がいるとの事ですから・・・・。)

32000円?そんな物じゃないのですか?
キャバクラと言えば、僕も横浜の西口で忘年会の2次会で
5人で行って28万円!請求されたことがありました。
(一度だけ延長をかけて・・・・。)

誰も現金の持ち合わせがなく、上司が泣く泣くカードで支払った
思い出があります。

もっとも、新宿のボッタクリバーで、茹でたモヤシ20本!
のおつまみとビール1本で89000円請求され、2ヵ月後酔って、
またまた呼び込みの後を付い行き、また同じバーに入った奴を知っ
てます。

突き出しの「茹でたモヤシ」で、はっと思い出したが時既に遅し・・・。(やはり10万近く請求されたそうです)
それに比べれば・・・・。

手品師だけあってキャバクラは所詮「ネタ」ありの騙しあい。

ま、32000円でいい思い・・・。
(ホンにご愁傷さま・・・・。)


阿波の国から〜5  投稿者:酒井のひろちゃん 投稿日:2006/08/06(Sun) 10:45 No.903
oyaji-06.gif こちらは、今週末から始まる「阿波踊り」本番に向け盛り上がって
おります。
 有名「連(れん)」(グループのこと)は5〜60もありますが、
企業、その他の連は3日間で1000を越えると言われております。

 勿論私の職場でも「連」を組み経験のない私も「連長」として
踊らねばなりません。ダンススクールの北沢君に代理を頼みたい
くらいです・・・・。

 踊りの基本は腰を下げ、がにまた気味に豪快に踊る「男踊り」と
すくっと立ち、腕を上に上げ、花のように舞う「女踊り」で
隊列を組み3日間練り歩きます。
「鳴り物」(大太鼓・小太鼓、鉦(かね)、笛、三味線)が
それぞれ「連」毎にあるので毎日公園や川縁で練習する様子は
こりゃ〜風情があります。

 私も今日は浴衣のサイズ合わせです。足袋と腰から下げる「印籠」
まで注文しちゃいました。

 父が札幌で危ないと言うのにこれが本当の「踊る阿呆」でございます。


ロシア商人  投稿者:木天蓼屋猫左右衛門 投稿日:2006/07/30(Sun) 16:26 No.901

 1週間前まで、お上の用事で、ロシア沿海(宴会?)州に行って
ました。ハバロフスクからアルセイニエフ・ウスリーリスク・
パルチザンスク・ナホトカ・ウラジオストックと主な都市をぐるりと
回ってきました。小さなグループでしたが、政府委託事業なので、
全額国費=税金です。
 総勢37名の友好親善団体でしたが、ハバロフスクで3班に分かれ
ハバロフスク州・チタ州と散っていきました。取りあえず、初めての
ことなので、右も左も判らず、経験のしたことないことばかりだった。
東京での事前打合せでは、「お前に全て任せる、適当にやってきて
くれ。」だった。「後一つ、お前の班だけ通訳全行程とも同行してな
いから。」とも。で、この小グループ8名の団長に任ぜられた。
 まぁ、中身はどうでも良いので割愛。
 ウラジオストックからシベリア鉄道に乗り、ハバロフスクまで
戻る夜行寝台列車の中でのこと。
 ロシアでは、各車両に1名の車掌が付く、大抵は、女車掌で、
融通が効かず、堅く、取っつきにくいが第一印象と行って良い。
今回の車両にも同様の女性車掌が乗務していた。名前をターニャと
いっていた。だから、タチアーナかナターリアかなんだけど。その
愛称が「ターニャ」なのだ。そんなことも、どうでも良い。
 夕方、午後7時過ぎに出発、太陽は、まだ頭の上で沈みそうにないし
車内販売のおばさんも来ない。蒸し暑い室内(2人部屋)で、冷たい
ビールが欲しかった。車窓からは、川辺で泳ぐロシア人達が気持ちよさ
そうに泳いでいる。連日晴天が続き、外気は35度位ある。
 ビール売りが、まだ来ない。でも、来たところで、この国の人間は
ビールを冷やして飲む習慣がないから、ぬるいビールしか手に入らない
のだ。それでも、何か水以外のものが欲しかった。窓も開かない、氷
もない、蒸し風呂状態で、イライラ状態のところに、隣の車両の車掌
がやって来た。ガーリャという若い車掌だった。
 ガーリャ 「何か用事でもある?」
 猫左右衛門「何もない、暑いから早くエアコンを入れてくれ!」
 ガーリャ 「私の担当車両じゃないから。出来ないわよ。」
 猫左右衛門「じゃ、冷たいビールを食堂車から持ってきてくれ!」
 ガーリャ 「提案があるんだけど?」
 猫左右衛門「な〜に?」
 ガーリャ 「今日、ターニャの誕生日なのよ。みんなでお祝いしない       冷えたシャンパンがあるんだけど。」
 猫左右衛門「何!冷えたシャンパンだと!ターニャの誕生会?
       なんだそれ???!!!。」
 冷えたシャンパンを積んでいるとは知らなかった、あり得ない話だ。
 ロシアで、しかも車内で、そんな話聞いたことない。
 猫左右衛門「でも、団長部屋としても使っているから、団員が、あれ       これやってくるぞ。遅い時間ならともかく。」
 ガーリャ 「当たり前でしょ!私たちだって勤務があるのよ。遅い
       時間11時過ぎにね。それ以降は、2時間以上駅に止
       まらないから。」
 猫左右衛門「判ったよ。じゃ、後でね。」
 ガーリャ 「私たちも、ナチャーリニク(車掌長)に見つかれば
       大変なのよ。じゃ、後でね!」
 年増の車掌ターニャの誕生会はともかく、友好親善の為、広く、
ロシア市民とも交流を持たねばならんかなぁ〜と同室の独身添乗員に
尋ねた。
   「団長!それは必要なことですよ。一緒に飲みましょうよ。」
   「だけど、そうは言っても来るとは限らんよ。期待しない方が
    いいんじゃない。」
 その後、他の団員が、通路で余興の練習をしているところに、別の
ロシア人が話しかけてきたようで、何を言っているのか判らないので
と連れてきた。そのロシア人かなり酩酊状態、差し出された名刺を
見ると、とある大学教授とあった。で、日本のウオッカ(焼酎)を
飲ませながら、話を聞くことに、ロシア・日本の学術交流をもっと
深め、人材育成を両国で推進しようではないかという、演説を聴く
ハメになった。では、ロシアが金を出し、ロシアの望む工学技術を
若いロシア人に学ばせ、技術を日本から買えばよい、と言ったところ
ロシアには、金がないという、しこたま石油で儲けているのに、と
言いたかったけれど、穏和・温厚なる猫左右衛門は、声を押し殺した。
 その後も、日本人が珍しいのか入れ替わり立ち替わりいろいろな
ロシア人がやってくる、日ロ友好親善の為、みんなと杯を交わし、
当方もメロメロ状態だった。団員達は、下手な通訳のおかげで、話に
飽きたようで、各自の部屋(コンパートメント)へと戻っていった。
 とっぷりと日が暮れ、エアコンも効き出し、酔いも手伝って眠気が
襲ってきた。そこに、ガーリャがひょっこり現れ、これから、お誕生会
よ、言って来た。ターニャを呼んでくるから、それと冷えたシャンパン
もね。ガーリャとターニャがやって来た。隅の方に申し訳なそうに座る
ガーリャ、椅子の真ん中に座り、陽気にはしゃぐターニャ。
 若い添乗員は、ロシアでこんな体験は初めてですと陽気に話す。
 猫左右衛門「ガーリャは、幾つになったの?」
 ガーリャ 「今日で、45歳よ!若くて美人でしょう。仕事も
       凄く出来るのよ。」
 どう見ても、ドイツ系の混じる見た目にも美人とは言えない、ごつい体格と圧倒されるまでの目つきの悪さに、おせいじでも美人とは言え
なかった。
 猫左右衛門「ところで、お前は、ガーリャ。」
 ガーリャ 「24歳よ、独身、でも子供が一人いるわよ。」
ガーリャも美人ではないけど、愛想が良く陽気な典型的なロシア女性。
冷えたシャンパンで乾杯、喉を通る冷たい液体が、汗ばんだ身体を
一気に冷えさせる。場末のバー(昔良く行ったっけ)を思い出した。
渋谷の裏通りにロシア婆の経営する店があったけどなぁ。
 カウンターならぬ寝台の上で、対面しながら、話が盛り上がるが、
内容は大したことはない。家族のこと、家のこと、車のこと等。
ガーリャは、ターニャが、猫左右衛門を見て、どうやら気にいったのよ
ね。それで、誕生会ってことで話をしに来たのよ。
 猫左右衛門「おっ、そうかい。気にいった。じゃ、もっと飲もうじゃ
       ないか!乾杯だ!」
だんだんと酩酊状態に近くなってきたが、冷たい喉越しのシャンペンに
も気を許していた。
 猫左右衛門「ターニャ、手紙を書くから住所を書いてくれ!」
 ターニャ 「いつ、ハバロフスクに来られるの?」
 猫左右衛門「お上の用事があれば良いんだけどね、すぐには、
       来られない。でも8月クラスノヤルスクに行くから
       もしかしたら会えるかも。」
適当なことを言ってしまった、日本なら携帯とかメールのやり取り
でもするんだろうけど。ターニャは、添乗員とふざけあっている。
 そこに、ナチャーリニクが、不意に現れ、「お前達、仕事に戻れ!」車掌達が、じゃ、ということで別れた。
 翌朝、シャンパンの空き瓶が5本ほど転がっていた。
 一本500ルーブル請求されましたと添乗員が言う。うん、良いじゃないか、友好親善が果たせたから。
 ハバロフスク駅には、予定に20分遅れで到着したが、列車を降りる時、ガーリャは、私に向かって、「あなた方は、この客車の中で、
大変すばらしいお客様でした。また、会いましょう。」と。
 1ルーブル=5円換算、彼女たちの月額給与が5〜6千ルーブルだ
から、いい小遣い稼ぎができたんだろうなぁ。
   


 



  
 

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