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啓成高校3期生とその仲間たち

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ゴルフ1泊旅行  投稿者:たむらむらむら♂♀ (田村) 投稿日:2006/10/21(Sat) 21:25 No.1026
patam10104.gif 毎年実施しているゴルフ1泊旅行の写真をアップしました。

腹いっぱい食い、焼酎・ワインと飲んだくれ、そして二日酔いのゴルフ。
楽しい二日間でした。

優勝は森本秀彦氏。

幹事の平野さん・七三子、お疲れ様でした。

今回はバタバタし7名の参加でしたが、次回は来年の9月に実施しますので多くの方の参加をお待ちしております。





Re: ゴルフ1泊旅行  ひら - 2006/10/22(Sun) 23:05 No.1027

122.gif 毎年の事ながら今回も目一杯楽しみました。

夕食はバイキング。皆で手分けして料理をゲット。
それぞれが皆の分もと張り切り過ぎたのかテーブルはご馳走の山・山・山・・誰が食べるんじゃ!状態
地球上のあちこちで飢えている人がいるというのに、残しちゃバチが当るわいと真面目な中年軍団は頑張った!
食べた食べた!・・思い出してもウップ。。
一番貢献したのはみっちゃんと増子さん。まるで育ち盛りの少年のようでした。あっぱれ!!
その後、老ちゃんと増子さんは腹ごなしのウォーキングに外出。ホテルからヒラフスキー場への坂道を2往復したらしいです。メタボリックと戦う中年・・・これもあっぱれ!但し、本人達の申告によるもので、暗い夜道、他の目的があったのかもしれませんが・・・

部屋での飲み会も男性陣の昔やんちゃ話に花が咲き、結構飲みましたね。翌日のゴルフに備え、老ちゃんの裸踊り寸前で強制退去。
ほんとに面白いおじさんたちです・・・

ゴルフの成績の方は低調でしたが、リゾート・リゾート!ってことで先ずは楽しいゴルフ一泊旅行でした。

来年の幹事は森本さんと三束さん。ノリノリで仕切ってくれそうです!
今から楽しみぃ〜♪ 大勢参加して楽しみましょうね。





Re: ゴルフ1泊旅行  クチ(中川信一) - 2006/10/23(Mon) 09:02 No.1028

bakuturisi.gif 高齢の・・・じゃあなかった・・・恒例の一泊ゴルフ楽しそうですね♪

次回はクチも「差し入れのアイスクリーム」ではなくって「参入のクチ自身」で参加したいもんですねぇ〜。


1969夏 vol.24  投稿者:三期松 投稿日:2006/10/17(Tue) 19:34 No.1024

 岳に会い、俺たちの平和な日常を混乱に陥れたブレインスリップから脱出するヒントを見いだすつもりが、逆に新たな疑問を呼び込んでしまったようだ。

 「岳氏と今、連絡してきたあいつ等、友好的な関係とは言えないみたいだな。もしかしたら俺たちと岳氏を会わせたくないのかもしれんぞ」。
 
 「それだけじゃないよね、奴らは僕たちのブレインスリップにも関与している可能性大ジャン」。

「わてらが岳に会おうと行動した。奴らは、なんでかしらんけど、それを察知して、足止めし、高内の鞄にトランシーバーを投げ込んだちゅうわけやね。しかも自分たちがこの時代の人間やないとまで言い切って。つまりは、わてらに、情報開示してくれたわけやねぇ。んっ!そや。思い出しましたでぇ。レッド・ツェッペリンのこの曲は1970年に発表されたアルバムに収録されとったはずや。もしかするとこのテープ」。

 「メッセージか?もしかして岳からのだってかい?それともあいつ等が?どっちにしても、何かいやな予感がするしょ。撤退したほうがいいかな、この部屋から」。

 「こいつはどうすんだよ?これだってメッセージかもしれないぞ」ポッコが間抜けな顔をした人形を触りながら言った。

 「そりゃそうだけど。高校生が持ち歩くにはちょっとなぁ」。

 高内よ。高校生じゃなくったって。変だと思うよ。と、俺は言いかけたがやめておいた。なぜかって?54歳の、しかも酒を飲んでる時の高内なら、平気でやりかねないからさ。やつは真面目そうに見えても筋金入りのスケベ親父だからね。

 親や家族の目を意識したわけでもないけれど、その日は、各自がそれぞれの家へと帰ることにした。焦ることはない、事態は俺たちを中心に動いている。だとしたらこちらがアクションをおこさなくとも、次の展開はあちらから投げかけられるに違いない。というポッコの推論に従った次第だ。

 俺は夕食と家族とのささやかな団らんを適当なところで切り上げると、さりげない様子で2階の自室へと引きこもることにした。いろいろと一人で考えたいことがあったからね。

 コンピュータと携帯電話、それに電子レンジがないことを除けば、1969年の生活は、さほど不便でもない。現に我が家にこそなかったが、電子レンジは1969年に10万円を切る価格でシャープから家庭用が発売されていたし、コンピュータにしても企業レベルではすでに利用されていた。つまり、元の時代の基本形は全てこの時代に揃っていたという訳だ。まっ、携帯電話なんかはまだ夢の話だけどさ。

 いわゆる高度成長の時代。俺たちの少し上の年代である団塊の世代が、活躍し始めた時代でもある。(まだ団塊の世代という言葉自体はなかったかこしれないが)

 もし、この時代の延長と元の時代(俺たちの知っている歴史上の)が違ってくるとしたら、分岐点は確かに1969年あたりであっても不思議ではない。開発や消費生活、環境、発見などがそれ以前とは比べモノにならないスピードで変化し始めた時代。時代の持つ膨大なエネルギー(人の欲望?)が暴走(言い過ぎでもないだろう)を始めれば、ちょっとしたきっかけで未来の姿だって違ってきて不思議はないだろう。いや現に、十勝沖地震は起こっていないってことは地球的規模でも未来が大きく変化する可能性もある。ということは、俺たちが何かの意志で、この時代にやってきたってことは・・・。そこまで考えたところでノックの音が俺を現実に引き戻した。

 「友だちからだって、電話。こんな時間に。ねぇねぇ小森くんってこの間、家にきた学校の友達?きちんとしたご挨拶のできるいい子みたいねぇ」。俺の交友関係に興味津々といった様子のお袋の表情は、なぜか元の時代の妻の息子へのそれを連想させた。何時の時代にも母親という存在は同じ反応を示すものらしい。ポッコがきちんとしたいい子だって?。この時代の大人を騙すのは、さほど難しいことではないらしい。いやそれは元の時代も同じかな。

 電話は居間にあるから込み入った話はできない。それは俺やポッコの家に限らずこの時代のどの家庭でも同じ様なものだから、よっぽどの事があったに違いない。




Re: 1969夏 vol.25  三期松 - 2006/10/19(Thu) 19:27 No.1025

 「おお、どうした。なんかあったのか」。俺はさりげない様子で受話器に語りかけた。

 「出てこれないか。今、お前の家の側まできてる」。

 「いいけど。そうかあの先生は厳しいからな。そういうことなら友だちとして協力しようじゃないか。で、どこまで行けばいいんだ。なんでも教えてやるぞ」。

 「なに言ってるんだよ。お前に勉強の相談をするほど・・。そうか親父さんやお袋さんがそばで聞いてるんだな。わかったじゃあな、天体観測の宿題とかうまいこといってこの間の道道まで出てきてくれ。待ってる」。

 言うだけ言うと勝手に切りやがった。しかたなく、俺はその後も会話を続けるような振りを少ししてから受話器を置いた。

 「あのバカ、星の位置関係を調べる課題を手伝ってくれってさ。ちょっと出てくるわ。観測ばかりは家の中じゃできないもんな。うん」。

 我ながら言わずもがなの言い訳を残して居間をでた。

 「こんな時間にぃ」お袋の声が追いかけてきたが、特別不審がっている様子はなかった。やれやれ、なんちゃって高校生ってのも気をつかうポジションだこと。

 まっ、考えてみれば気を遣う必要もないのだが、なにしろこっちはこの時代にとって俺たちは、一応、部外者。エイリアンだからね。不必要な混乱は避けようという大人の判断だ。

 部屋へ戻ると、アリバイ工作でもないが、地学の教科書、そしてついでにビールを2本バッグに入れ、歩いて2分ほどの道道へと向かった。元の時代では幹線道路としての機能を失い、通行する車両もめっきり少なくなった道だが、この時代には札幌と江別を結ぶ主要道路の一本として交通量も少なくなかったはずだ。

 道道から我が家のある一帯へと入る支道の入り口に不格好な小型車がライトをつけたまま止まっていた。不審に思いながらも横を通り過ぎようとすると声が掛かった。

 「おい、神崎」

 「ポッコか?」ま、考えてみれば元々はこいつも54歳。車を運転したって不思議に思うこともないか。

 「トヨタカローラ。隣の車が小さく見えま〜す。ってCMで一世を風靡した初代カローラよ。マニュアルだし、ハンドルは重いし、おまけにドアも鉄製だけどこの時代の名車だぞ」。

 なるほど言われてみれば、鰹節と呼ばれた特長のある顔立ちに見覚えがある。

 「無免許運転ですね。運転手さん」。

 「おお、運転歴30年、しかもな無事故のな。まっそんなことより乗ってくれ。話はそれからだ」。


第19回啓成杯ゴルフコンペの写真...  投稿者:たむらむらむら♂♀ (田村) 投稿日:2006/10/16(Mon) 22:11 No.1022
patam10104.gif 9月3日に開催されました第19回啓成杯ゴルフコンペの写真・結果をアップしました。
コメントは今回も平野さんが作ってくれました。

残念ながら出席は12名でしたが、横浜信也氏が始めて出席くださりました。
彼はかなりのロングヒッターだとの事(但し、当たればとは同伴者の言葉)
真偽は結果に出ており、なかなかみたいですよ。

今回のアーレックスは難しいと評判のコースで、林に入ってしまえば出すのに一苦労。
そんなコースでアベレージゴルファのスコアが良い訳はなく皆さん散々なスコアでした。

幹事の大和氏・三束氏ご苦労様でした。

次回の開催は来年の6月です。札幌で一番良い季節ですので多くの方の参加をお待ちしております。




Re: 第19回啓成杯ゴルフコンペの...  クチ(中川信一) - 2006/10/17(Tue) 09:08 No.1023

bakuturisi.gif 横浜とは先日の同期会の二次会で会えるのを楽しみにしとったんやけど残念でしたぁ〜。

二次会から電話したけどやかましい大声で話したんで早々に電話切られちゃいました♪

それにしても体形も絞まっていて高校時代の陸上部勇姿を彷彿させますねぇ。

でも94で優勝なん・・・?・・・と言いつつ札幌でのゴルフは100オーバーのクチですが・・。


楽しかった同期会  投稿者:手品師 投稿日:2006/10/08(Sun) 22:20 No.1013
icon13.gif 啓成高校3期生同期会盛会裏に終了!
幹事の皆様本当にご苦労様でした。
おかげさまで楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
40周年も期待しています。
ありがとうございました。




Re: 楽しかった同期会  きし - 2006/10/09(Mon) 11:49 No.1014

発起人の皆様、お疲れ様でした。
”楽しかったね、またやりましょう!”




Re: 楽しかった同期会  クチ(中川信一) - 2006/10/09(Mon) 17:12 No.1015

bakuturisi.gif いやぁ〜ほんまにぃ楽しかったねぇ〜♪

我が家はカミさんも二次会から11組(?)のメンバーの皆さんと合流しました。
カミさんは合田とのトークに笑い転げていたようですぅ。

幹事の皆さんは本当にご苦労様でした。
有難うございましたぁ。。。




Re: 楽しかった同期会  しのぢ(中  8組) - 2006/10/09(Mon) 22:51 No.1016

幹事の皆さんご苦労様でした
しゃべって、歌って、踊りまくって
あっと言う間の楽しいひと時でした
次回もよろしく
写真の整理が大変じゃー
あまり良いのが無かったけれど・・・





Re: 楽しかった同期会  田村公俊 - 2006/10/12(Thu) 21:10 No.1018

patam10104.gif 35周年の3期生同期会も無事に終了いたしました。

1次会53名、2次会44名、3次会20数名、4次会10数名と盛り上がり、4次会は
午前3時半の解散だったとか。
53,4歳になっても元気な皆さんです。

3組 武石文人先生、5組 伊藤孝先生、7組 木村有道先生、8組 田中瑞枝
先生もご出席下さり懐かしい話に花が咲きました。
何時までもお元気でいて頂きたいものです。

翌々日には1期〜3期のゴルフコンペも開催されたそうですが、私は、ゴルフ
ではなく、朝7時に出発して女性陣5名(北川・飯澤・平野・冨高・七三子)の
介護役兼運転手として旭山動物園〜皆空窯に行って来ました。
夜は時岡氏宅にて石川氏の手料理で飲み会。帰宅は12時過ぎ。疲れが抜けま
せ〜ん。

同期会に多くの方に参加して頂きまして感謝申し上げます。
発起人一同、同期会開催まで何度も会合を開き万全を期した積りでしたが、
何かと気の届かない点が多くあった事をお詫び申し上げます。

次回は5年後か10年後かと思います。それまで皆さんお元気で。





Re: 楽しかった同期会  ひら - 2006/10/13(Fri) 17:34 No.1019

122.gif はい、皆さん お疲れ様でした!
3時半組のひらです・・・土・月・火・と遊びほうけ、水曜日に社会復帰するもイマイチエンジンがかからずと思っていたら日本ハム優勝で気分も晴れ晴れ♪ 調子いいですよ〜!

同期会、楽しかった。の声はホント嬉しいです。
準備段階では色々ハプニングがありましたが、発起人皆の協力で無事終えることができました。
特にコンダクターの田村公さんには頭が下がります。ありがとう!!!

この輪を大切に、またいつの日か集いましょう。
還暦ころかしら? 皆、赤い物を一点身に着けて。




Re: 楽しかった同期会  むつこ(いいざわ) - 2006/10/13(Fri) 23:18 No.1020

icon59.gif 幹事の皆様、本当にご苦労様でした。
司会も最高!三人トリオの挨拶も受けたし、よかったよ〜♪
楽しい時間を過ごすことができました。ありがとう!!
また5年後、10年後も元気にお会いしたいですね。

今回はよく遊んだ4日間でした。
付き合ってくださった皆様、感謝していま〜す。


1969夏・・・続きは・・  投稿者:クチ(中川信一) 投稿日:2006/10/12(Thu) 12:18 No.1017
bakuturisi.gif 先日、映画「もしも昨日が選べたら」を観てきました。

最初はコメディかな・・?・・と思いましたが後半は家族愛で泣けました。

ちなみに『1969夏』のその後は・・・?


1969夏 続きじゃないのよ涙はア...  投稿者:三期松 投稿日:2006/10/05(Thu) 09:22 No.1012

三期のみなさん、もうすぐお楽しみの同期会ですね。
東京からも強力なメンバーが参加するさかいにねぇ、
こりゃまたすごい盛り上がりになるこってしょう。

で、話は飛んでイスタンブール。
それとはベッケンバウアーですが、

道〜1969夏なるブログを見つけてしまいました。
我々の高校2年生時と同じ時期に、北海道内を自転車で
廻った大阪の大学生の日記(記録)です。
    ↓
とアドレスを記入しようと思ったら、エラー文字に引っかかっちまった。
しょうがねぇなぁ。かくなるうえは・・。

以下のキーワードで検索するとヒットするはずです。
         ↓
     道〜 1969・夏〜

結構、「あった、あった」感がありますよ、



1969夏 vol.23  投稿者:三期松 投稿日:2006/10/02(Mon) 15:21 No.1006

 
 先に室内に入った高内が布団をひっぱがした。中から現れたのは人型をした肌色の人形だった。しかも裸。

 「なんの冗談や、これ?南極2号やおまへんか」。そこには、南極越冬隊ご用達と噂されたダッチワイフがオーの字に口を開いた間抜けな表情で寝転がっていた。

 「これ、まさか岳さんの・・・」。奈美のあきれたような声をうち消すように男たちの笑い声が起きあがった。

 「だっ岳の女?」

 「岳先生、御用達って書いとこか。おッ俺の女に手を出すなby 岳とか。俺ダケの英子とか。ダッチミーとか」。壊れたような余山の下ネタの連発に、2度目の笑いのウェーブ起ころうとした時、部屋の中に聞こえるはずのない電子音が響いた。

 あわてふためく俺たちを嘲笑するように流れる軽快なテンポ。「仁義無き戦い」のテーマじゃないか!。

 「高内、お前だよ、お前の!」ポッコが高内の鞄を指さした。

 あわてて開けた鞄の中から、高内の指先を逃げるように携帯電話様の物体が転がり落ちた。

 携帯電話???。なぜ?なんでこの時代に???。
困惑しながらも俺の手はしっかりと携帯電話?を握り、通話ボタンとおぼしきものをプッシュしていた。

 「はい、もしもし」
 「もしもしだって。ハハッハハハハハハ」
携帯電話の向こうからさもおかしそうな笑い声が聞こえてきた。どういうこったいこれは?
 「いや、笑ったりして悪かった。で、君は高内、それとも。いやどっちにしても、岳はそこにいなかったろ。どうだい?」。

 「だれなんだ、あんた?」

 「名前が聞きたいのか。それならKとブルンネンとでも覚えておいてくれ。さっき会っただろ」。

 あいつらか。でもどうやって。

 「こいつは君たちにおなじみの携帯電話じゃない。昔懐かしの小電力トランシーバーって小道具だよ。そういえば少しは分かるだろ」。

 「あんたたち、ひょっとして」

 「答えを保留する必要はない。安心しろ。俺たちもこの時代の人間じゃない。それよりそこから出た方が良くはないか。高校生が教師の部屋でダッチワイフと遊んでたんじゃぁまずいだろ。岳もいないことだしな」。

 「なんで知ってるんだ」。

 「その話は、後ほど。また連絡するから。なくすなよトランシーバー」。

 言うだけ言うと、あっさりと切られた。




Re: 1969夏 vol.23  クチ(中川信一) - 2006/10/02(Mon) 18:26 No.1007

bakuturisi.gif カバンの中に何故トランシーバーが・・?

ふむぅぅぅ〜謎解きのようだ・・・?




Re: 1969夏 vol.23  ぽっこ(小森) - 2006/10/03(Tue) 19:09 No.1009


「だっ岳の女?」?
お、お前はダケなのか?
ガ、ガクじゃないのか!
ということはあの人形はダッケワイフなのか!
おれが前に書いた「が、岳然・・・」も大きくはずしていたのか!

レッド・ツェッペリンの移民の歌・・・
そうか、移民なのかおれたちは。
時空を超えてやって来た移民なのか。
アーアーアーーーーーーーーアーッ

それでダッケワイフは
オーオーオーーーーーーーーオーッ
と呼応しているのか?!





Re: 1969夏 vol.23  ぽっこ(小森) - 2006/10/03(Tue) 19:24 No.1010


だっ岳がいたぞ!
ホーチミンで太鼓腹かかえてるぞ!




1969夏 vol.19  三期松 - 2006/10/03(Tue) 22:12 No.1011

ホントだ!

信楽焼のタ○キかと思ったら、岳じゃないか。
キ○タマの大きさは同じくらいと見たぞ。

ホーチミンで、また悪さしとるのか。

ふんとにもう。
ススキノでは老ちゃんや北沢が、
タイでは山ちゃんが、中国では竹内が。
まったく、俺の同期ときたら・・・。


ベトナム再来  投稿者:きし 投稿日:2006/10/02(Mon) 20:21 No.1008

去年に続きハノイ、サイゴンとやってきました。
以前会社で働いていたトック君の家に泊めてもらいました
ベトナム人の生活習慣がよくわかり興味深い出張です

ホーチミンシティ(旧サイゴン)は大変活気がありいい町ですが
バイクの多さには辟易とします。車は身動きできないので
トック君のバイクの後ろに乗せてもらい市内観光、
スリル満点の大冒険といったところです。

写真は来たベトナムで日本の援助で11月に完成のバイチャイ橋
参加プロジェクトの完成まじかは感無量な思いです。

あとは、ハノイのホーチミン廟、閲兵の交代式はレーニン廟、蒋介石廟
同等偉人を敬う見事な儀礼です。

聖カテドラル教会は戦火を逃れた遺跡ですね

では きし ホーチミン市にて



1969夏 vol.22  投稿者:三期松 投稿日:2006/10/01(Sun) 18:09 No.1005

 あっけに取られていたわけではない。中年の理性が追うなとささやいていた。

 「どないするんや?」

 「お利口さんに、はいそうですかと引き返すわけにもいきゃあしねぇだろ。おいらは岳のヤサをあたってみるぜ」。
 スイッチが入ってしまった。無理難題を押しつけられたり、困難な状態に追い込まれるとついつい意気がってしまう俺の悪い性格。言葉までべらんめぇだ。

 アパートは、木造の飲食店が建ち並ぶ一角にあった。不動産業界でいうところの二戸一タイプ。雪の多い札幌の事情に合わせた内階段スタイルの2階建てだった。一見レンガ造だが多分実質は木造、タイル貼り。子豚三兄弟の次男と三男スタイルの掛け合わせ。この時代にしては、立派な部類に入るのだろう。

 結構な速度で回転する電気メーターの向こうからは大音量の音楽が漏れだしていた。

 レッド・ツェッペリンのイミグラント・ソング。懐かしい曲だ。

 音量に負けているのか、しつこく押し続けたブザーやノックにも返答は無い。

 「どうする」。問いかけるような目をしていた高内が、意を決したようにドアノブを回した。どうやら、岳氏は、正体不明の割にはセキュリティ意識の低いお人のようだ。

 10畳ほどのリビングには、コンソールタイプのステレオと巨大なオープンリールデッキ、米軍払い下げのパイプベッドだけで、人の姿はないように見えた。

 ベッドの上の布団は、ちょうど眠りを覚まされるを嫌って潜り込んだような人型に盛り上がっていた。音楽を楽しむには不釣り合いなスタイルだ。


1969 夏 vol.21  投稿者:三期松 投稿日:2006/09/27(Wed) 20:19 No.1003

 「このあたりだな。それにしても素晴らしい住環境ですなぁ。懐かしいような、おぞましいような」。柄にもなくポッコが感慨深げになるのも無理はない。その一帯は通称屋台団地と呼ばれる薄野の中心部から、ちょっとはずれたエリアだった。

 屋台とは言っても、B級グルメのそれとは、供されるモノが異なる。1970年代の薄野を知っている人には有名な売春地帯だ。
 元の時代でいえば、ジャンボ1000という駐車場のあたりだ。
 今は無き、甘く危険な香り。噂ではとんでもない高齢のレディも出没していたそうだ。最も俺はお世話になった覚えもないけどね。

 このあたりの暗がりを高校生。しかも女の子連れの集団が歩いているのはかなりレアな光景だったのだろう。団地の住人&客たちが、ぶしつけな視線を向けてきた。

 足早に通り過ぎようとした時、一人の酔っぱらいが、先頭を歩く高内の前に立ちふさがった。

 「岳に会うつもりなら、悪いことは言わない今は止めといたほうがいいよ」。こいつなんで岳のことを!。

 後ろから別の声がかかった。
 「脅かしちゃって悪いけど、彼の言うとおり。岳センセイに会うのは、止めといた方がいい。特に本当の名前を隠しているようなヤツにはね」。

 少年?いや暗がりではっきりとはしないが、身体のラインからすると若い女性のように見えた。ベルベットっぽい素材の黒いブラウス、スキニーなデニム、ブーツ。これでベストでも合わせれば1970年代の定番ルックだ。随分と時代を先取りしている。多分、流行に敏感なタイプなのだろう。

 ちなみにアンアンの創刊は、1970年の3月、当初はエル・ジャポンとの提携誌という位置づけだったように記憶している。さらに言えば、池袋パルコの開店は、この年の11月。パルコと聞けば渋谷を連想しがちだが、渋谷パルコのオープンは4年後の1973年。さらに2年後には札幌店がオープンし、それ以降は、一気に日本女性のファッションが変わっていく。

 つまり1969年とは、そんな黎明期とも言うべき時代だったのだ。
 男性ファッション?ジーンズブームはもう少し後で、この時代はまだまだアイビーが主流だ。
 
 どっちにしろ、彼女、この時代の女性にしては、スタイルもいい方だ。

 「あんたたち、なんで俺たちがその岳さんとかに、会うつもりだなんて思うんだ」。6人対2人、質問を返す高内の声に緊張はなかった。

 「とにかく、忠告はしておいたからね。それに女の子連れでこのあたりを歩くのは、一時の歌舞伎町より危険だよ」。謎めいた言葉を残すと、尚も問いただそうとする俺たちを振り切るように、屋台団地の中へ足を向けた。




Re: 1969 夏 vol.21  クチ(中川信一) - 2006/09/27(Wed) 21:09 No.1004

bakuturisi.gif 何故?なぜに通りすがりの二人が岳に会いに行くのを知っているの?
彼(彼女?)らも、時間を超えて来たのだろぉぉかぁ?

うーーん。クライマックスが近いのかも・・・♪

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